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中冨雅史さんのこと

12時20分から野洲市冨波甲の浄土真宗佛光寺派佛願寺で執り行われた故中冨雅史住職の葬儀告別式に参列しました。

中冨さんが滋賀県庁で行政改革や地方分権、行政評価、住民参加などを取り扱う新行政システム推進室の室長であったときに室員としてお仕えいたしました。

当時の滋賀県の行政改革は、全国的に名物知事が旗を振るトップダウン型が主流であったなかでは異色の、ボトムアップ型の熱気と活気と自由に満ちたものでした。

新行政システム推進室には一騎当千の室員が集まり、室長を室長とも思わず、知事を知事とも思わない気風に満ちていましたが、常に最新の改革モデルを持ち込む室員たちと庁内既存組織との間で、室長としてはさぞや苦慮されたことと思います。

『谷畑君、お前なぁ』と口癖のように言いながら、『わかった、行ってこい、ワシが責任取ればええんやろう』と太い眉毛の下のつぶらな瞳を輝かせていたずらっぽくニヤリとする中冨室長。

思う存分暴れさせていただきました。

中冨さんは私が選挙に出ようとするのと同じ時期に脳出血に倒れました。

今日の遺族あいさつにもあったように持ち前の生真面目さでリハビリに励み、職場復帰は果たしたものの、そこは同期のトップを切ってバリバリと働いていた最前線ではなく、身体を労った静かな職場でした。

当選してから職場を覗きに行きましたが、『見てみろ、市長はな、ワシの下で働いててんぞ.ワシはな県庁でバリバリと仕事をしててんや』と、周りにいる教員ばかりの同僚を笑わせていた姿からは、言葉とは裏腹に口惜しさを滲ませていたのを覚えています。

病を得さえしなければ、少なくとも県の部長にまでは登り詰めていたはずですが、今日の葬儀告別式に参列した県庁関係者は片手余りに過ぎませんでした。

手許に遺るのは、中冨さんが送ってくれた私の選挙に向けての激励のハガキ。

『今回もがんばれよ。

かいしょなしで申し訳けない』と、ただでさえ下手な中冨さんの文字は、自由の利かない手によるもので、さらに乱れた筆致でした。

負けん気の強い中冨さんでしたから、無理を押してでも手紙に思いを認めてくれたものでしょう。

今日も奥様とお話していると、身体が自由に動かないもどかしさの中で、当選を我がことのように喜んでいてくれたとか。

いつでも顔を見に行けると思いながら、今日を迎えてしまいました。

中冨さんが亡くなったのが1月2日夜。

翌3日朝には『本年もよろしくお願いします』と中冨さんから年賀状が届きました。

中冨さん、どうか今年もよろしくお願いします。

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