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第35回しがぎん地域懇談会OB会

13時30分から大津市のびわ湖大津プリンスホテルで開かれた第35回しがぎん地域懇談会OB会に23年度会員として出席しました。

最初に高橋祥二郎頭取からあいさつがありました。

「大道前頭取から4月に頭取を引き継いだ。滋賀銀行は、①地方銀行らしい銀行を目指し、ファーストコミュニケーションバンクを目指すとした。ファーストコールではなく、絶えずコミュニケーションをベースにして一番にコールしてもらい、お客様に親切親身に回答でき、プラスアルファの付加価値提案ができるようにしたい。 ②地域創生、東京一極集中を回避し、人口減少社会を克服するとしているが、滋賀県も人口減少社会となった。自然増減ではプラスだが社会増減で減なので、大学卒業生が出ていってしまう。東京以外に中部圏にも出ていくし、大阪もドーナツ化から回帰が出ている。これから創業に加えて観光についても行政と力を合わせて行きたい。橋渡し役だけでなく各支店長がリード役となっていく。この2点を中心に進めていきたい。 過去の資料を紐解くと、第1回懇談会では、銀行の社会的責任、中小企業支援、金融面の指導的役割、窓口対応の4点が議論されていた。その当時と課題は変わっていないが、来店の客は半減しており、逆にスマフォや店舗外ATMが増えている。お客様との接点も変わってきている。ぜひとも忌憚のないご意見をお聞かせいただきたい」

次に新入会員が紹介され、滋賀銀行の紹介ビデオが放映されました。

次に講演となり、フリーアナウンサー小宮悦子講師から『伝えること、その大切さ・難しさ・楽しさ』と題して講演が行われました。

例によってスマフォでチネチネしたメモですので、内容は文責谷畑です。

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1981年にテレビ朝日に入り、35年間報道一筋だった。

その間、風邪を引くことができなかった。

だから、今はストレスフリーだ。

滋賀に来たのは3回目だが、最初のときには近江八幡で近江商人の三方よしを知った。

そのときの番組を、資本主義が曲がり角にあり、三方よしはもう一度日本の資本主義のお手本になるのではないかと番組を締めたことを覚えている。

また、〇〇寺(珍しく聞き取れませんでした。

すみません)に行ったが、観音が好きで、ぜひ湖北に行きたい。

滋賀の歴史を語ることが日本の歴史を語ることだと言われている。

今、大河ドラマで『真田丸』をやっているが、古くからのミツナリストであり、歴女に石田三成ファンが増えている。

三成は官僚的であるとか傲慢といわれるが、司馬遼太郎のいうように近代人の始まりだったということは、かなりの先進性だったと思う。

刀狩や太閤検地は三成の功績といわれている。

三成は堺の港を発展させたエコノミストであり、ロマンチストだったとされ、リアリストの家康と敵対したと女子は見ている。

滋賀銀行も三方よしで来ており、ぜひ京都の隣ではなく日本の真ん中ということで、東京を意識することなく滋賀発の発信をお願いしたい。

私は東京都立大学を出ている。

その理由は学費が安かったから。

高校よりも安かった。

家が貧乏で平和でなく、大学に行ける環境ではなかった。

しかし、なぜ私がここにいて、社会がどんな力で動いているのかを知りたくなり、都立大学を受けて受かった。

社会学と文化人類学、民俗学と勉強し、さらにすべてを知りたかったので、他の大学にまで出かけて政治思想史などを勉強した。

就職するのに、社会学の延長はメディアになる。

先輩にいなかったので、電話をして30社くらい回った。

放送でなく雑誌や広告を狙っていた。

コピーライターをしたかった。

そのさなか、空白の一日があり、就職活動で顔見知りになった人に誘われてテレビ朝日に行き、600人のうちの4人として内定をもらった。

重役面接を経て入社した。

アナウンサーになろうとしたわけでなく、テレビ朝日なら潰れないだろうという不順な動機だったので、発音が通用しないことを思い知らされた。

入ってから後悔した。

しかし、何故続けたかというと『ニュースステーション』に出会ったからだ。

業界的に歴史に残る番組だった。

当時はバラエティの時間帯だった夜の10時台にニュースを帯で入れた。

これは無謀な試みだった。

当時ニュースは売れなかった。

他所で稼いで、ニュースは聖域として提供した。

聖域なので報道のスペシャリストが傲慢な態度で作っていた。

それをニュースステーションは商売にしようとした。

話を聞くと、司会が久米宏さんだという。

TBSで『ザ・ベストテン』や『ぴったしカン・カン』などバラエティしかしていない人だった。

また、当時は赤紙といい、必要な人物をドラマ部門からでも強制的に連れてこられた。

さらに、局外のプロダクションの人を半分入れた。

この陣容でニュース番組を売ろうとした。

革命的。

今で言うダイバーシティ。

コンセプトはあんたがたニュース。

つまり、顧客、お客様にわかってもらうニュース。

トリックスター的番組だ。

ある文化があると、それを中心的価値が支配している。

トリックスターはその周縁にいて、価値を作り直していく。

歴史はそうして作り変えられてきた。

この番組はイノベーションを担った番組だった。

最初の放送が鮭の中継を北海道から九州まで縦系列でやるものだった。

出だしは北海道テレビの長谷川アナウンサーの自宅の炬燵からで、スタジオで驚いた。

しかし、視聴率は取れない。

ところが、テレビ朝日はCNNテレビと契約を結んでいて、その映像が使えた。

スペースシャトルチャレンジャーの爆発事故、フィリピン革命、チェルノブイリ事故など、ニュースで視聴率が取れてきた。

バラエティでなくまじめに視聴率が20%取れた。

久米さんは勉強家でなんでも話せるようにしていたが、スタジオからは視聴者が見えないにもかかわらず、20%も視聴率を取ってしまうと、世間からの風圧を感じて苦しんでいた。

それが自民党の怒りを買った。

ニュース番組が視聴率を取るのも痛し痒しだ。

忘れられない番組がある。

1985年にプラザ合意があり、ペレストロイカが始まった。

国内では日本航空機事故で520人が亡くなった。

羽田空港から中継をしたが、モニターを見るとスタジオに520足の靴が並んでいた。

ニュースステーションの前にワイドショーで日航機事故も取材してきたが、こんなニュース番組はなかった。

靴は履いた人を想像させる。

鳥肌が立った。

そこからニュースステーションに恋をした。

こんな表現ができるのかと。

旦那は『テレビに寝取られた』と言っていた。

その価値があり、面白かった。

ニュースにナレーションがつくのはそれまでなかった。

ニュースに音楽がつくのもニュースステーションが始めた。

国会ニュースでは、それまで放送されたのは誰かの答弁だけだった。

ニュースステーションでは、国会の廊下の足の動きを撮って編集する。

インタビューだけでわからない雰囲気を伝えた。

興味を持って政治ニュースを見てもらえた。

ニュースは素晴らしいコンテンツだった。

選挙になると政治家の人形を作る、積み木で投票を表現したり、模型を多用したりしたのもニュースステーションだった。

桜の中継に大掛かりなクレーンカメラを使ったり、富士山頂で湿気ったピアノ演奏をしたり、一見無駄に見えるところにお金を使った。

最高視聴率は35%、それは阪神の優勝だった。

バブルだったからできた。

バブルが破綻し、東西冷戦が終わり、オウムが出て、山一証券が破綻し、失われた20年となった。

東西冷戦が終わり、内戦の時代となった。

ポジティブだった高度成長は、ネガの世界に入っていく。

ニュースステーションは、時代が変わるときには良いが、沈滞する時代には難しくなった。

オウムの人たちは高度成長に馴染めなかった人。

そんな人の内面を見るのは難しい。

ニュース番組は混迷の時代に入った。

しかし、イノベーターとしていろいろチャレンジしていった。

アナウンサーになりたくなかったので、ピンを目指さなかったら、久米さんに『君は欲がない』と言われた。

久米さんの横で隠れているのが楽ちんだった。

久米さんの夏休みに3週間、ピンでやるのがとても苦痛だった。

ニュースステーションは久米宏仕様の番組だったのでたいへんだった。

しかし、39歳の1997年の夏にダイアナ妃の事故があった。

そのとき久米さんがいなかったが、このときは『久米宏帰ってくるな』と初めて思った。

そう思ったその時、40歳のときに夕方のニュースに移ることになる。

それまで、ニュースステーションはお金があったので、海外に行けた。

東西冷戦終了前にプラハに行った。

インタビューをしても誰も答えてくれなかった。

2ヶ月後にビロード革命のあともう一度プラハを訪れると、ものすごく明るくなった。

今の日本で明るく話せるのは普通だと思うが、プラハでは政治の批判が路上でできるということでものすごく喜んでいた。

これは経験できないことだった。

パレスチナ合意ができたときに、車にパレスチナの旗をつけていないと銃撃をされる。

村につくと、子どもたちが出てきて石を投げられそうになった。

インティファーダ。

これは、日本は国土があるが、国土や安全保障のないパレスチナの恐怖でもあった。

パリやニューヨークも良いが、この間、ブータンに行ったし、北朝鮮にも行った。

北朝鮮はお勧めだが、3日で飽きる。

金日成の誕生日に合わせて日本のメディアにも開放したことがあった。

街を歩くにも役人が必ずついてきて、インタビューをしても同じ答えしか返ってこない。

ホテルの寝室は壁が全て鏡になっている。

マジックミラーになっている。

部屋に戻るとメイドが来て、ゴミ箱に捨てた労働党新聞を持っている。

これをしては困ると。

1面に金日成の銅像の写真があった。

いつの間に部屋に入ったのか、怖くなった。

ブラックリストに乗ったと思う。

盗聴もされていたかもしれない。

一度、案内人をまいて店に入ると、魚は乾物しかなく、肉はなく、野菜は萎れていた。

あとは缶詰。

平壌でもそういう状況だった。

エリートである女性の案内人の家に招かれたことがある。

コメはなく、ビスケットやかっぱえびせんのようなものしかない。

しかし、ご馳走だったはずだ。

帰りに萎れかけたミカンを3つとゆで卵を持たせてくれた。

おもてなしの最上級だ。

労働党のエリートでさえこうなのだから、労働党でない人のレベル、地方のレベルがどういうものかわかる。

それが現場の面白さであり、ニュースの面白さだ。

素材が新鮮でなければニュースは面白くない。

ニュースを伝えるのに人形を使っても、素材が古ければ面白くない。

それがわかるのが夕方のニュースだ。

最初が『スーパーJチャンネル』だった。

行く前に石田純一がやっていたが、うまく行かずに行くことになった。

そこでテレビ朝日に恩返しをしようと思った。

ニュースステーションにはチームがあり、それが報道局と連携するかたちだった。

しかし、夕方のニュース番組は報道局と直結していた。

そこで、報道局全体で勝ちたいと思った。

ニュースステーションは他局と比べて1番だったが、夕方は4番だった。

スタッフに当事者意識を持ってもらいたいと思った。

夕方のニュース番組は、午後のニュースをかんたんに報じると同時に午前のニュースの深堀りをするだけだ。

だから、記者は夕方のニュース番組は他人事だった。

記者にとっては、昼のニュース番組が一番の仕事だった。

また、夜のニュース番組はニュースステーションチームが作っているとの認識だった。

記者の仕事は昼ニュース番組の1分ニュースを1本書くだけだった。

そこで、『あなたの番組を作ろう』と口説いた。

『1分のニュースではなく、できればあなたの15分の特番を作ろう』と。

『アウトプットから考えてほしい』と言った。

『オンエアから考えてほしい』と。

それまでの記者は、取材してメモを書いて記事にして本社に送ったら終わりだった。

そうでなく、アウトプットから考えてほしいと。

記者にできるだけ番組に出てもらうようにした。

記者は社内のスペシャリストなので使わないのはもったいない。

当時はテレビ朝日を退社しており、外部の人間だったので言い続けた。

ニュースに40秒だけ記者に出てもらい解説させる。

多くの記者に出てもらうと、アウトプットがわかるようになる。

うまく行くと楽しくなる。

取材が面白くなる。

インタビューの仕方、映像の作り方が変わってきた。

面白いように変わってきた。

それを12年で経験した。

1番下の番組には基礎体力がない。

事故や解散ですぐに取材ができない。

1番の局には体力があるので素材がよい。

夕方のニュースは、番組中にも事件が動いている。

愛知の立てこもりにもカメラを出せるようになった。

それまではお客さんが自局のチャンネルから逃げていたのだ。

12年かけて作り上げてきた。

しかし、ニュースキャスターをやり続けるのはただただハード。

芸能人にも出会えないし、勉強、新聞、テレビ、雑誌と、寝る以外は受験勉強そのものだ。

風邪もひけない。

そこで辞めた。

今はストレスフリー。

ただ、生放送は好きだ。

バラエティは収録が一日かかる。

正月のニュース特番は3時間番組でも10時間かけて収録していたが、バラエティでは1時間番組でも10時間収録になった。

そのうち、バラエティでは台本がなくなりハプニング頼みとなった。

延々とハプニングを待っていてくたびれる。

生放送であればその時だけで終わる。

10時間かけて撮っていたバラエティも、バブルが弾けて制作費がなくなってきた。

すると、9時間カメラを回したものを1時間番組にするより、3時間番組にしたほうかコストパフォーマンスがよいので、バラエティ番組は長時間化している。

昔は長時間番組は番組改編期だけだったが、今は番組改編期だけでなく平時でも長時間化している。

だから、若者を中心にテレビ離れが進む悪循環だ。

それと、伝えるのに大事なのは声。

ニュースステーションを始めたとき、久米さんから飛んだ指示は『声を下げろ』だった。

当時の女子アナは高い声で話していた。

高い声は鼻で響かせる。

もっと高くするには頭から響く。

胸で響かせると声は低くなる。

快適で心地よい音と響き良い音とは違う。

下げていくと喉に負担をかける。

声は変えられるし、スピードを変えるだけで違えるようになる。

1枚の原稿を15秒で読む。

早口で話すと逆効果だ。

たくさん喋れば良いというものでない。

ある程度のスピードで伝える必要がある。

また、上手、流暢である必要もない。

吉本隆明が講演するのをテレビで見たが、訥々として繰り返しが多くわかりにくい。

テレビでは編集されていたが、いつまでも喋り続けていた。

しかし、自分の芸術論を訥々と喋っている情熱に涙が出てきた。

話し方にその人の人生が出てくる。

みんな5時間大人しく聴いていた。

また、伝えるには聴くことが大事で、基本はインタビュー。

人の話を聴くこと。

お客さまの声を聞くこと。

ニーズ、本質を知ること。

相手を知りたいということ。

それがあればインタビューはできる。

15分も話すと人は本質がにじみ出てくる。

嘘はつけない。

伝えることは聴くこと。

聴いていくと自らの伝えるべきことが用意されていることが多いし、それが取材だ。

あと、圧倒的に大事なのは読むこと。

『選挙ステーション』では、選挙がよくわからなかったが、選挙について書かれた新聞を読んで読んで自分に浴びせかけた。

するとキータームは繰り返されている。

あるところで量から質に変わる。

ポイントが見えてくる。

選挙だけでなく、ブレイキングニュース(速報)でもある。

組閣のポイントもふっと見えてくる。

生放送が好きなので、予め書かれた原稿を横に置いて組み立てていく。

中継でいろんな政治家のインタビューをすると、今日のポイントがわかってくる。

それを軸に組み立てていく。

あるとき縦軸が見えてくる。

そこに沿った仕事を組み立てるとヒットする。

すると、4時間の生放送が面白くなる。

そのためには勉強をしないといけない。

そういう癖が大学時代からついていた。

そういう目で見たこれからの日本や世界はどうか。

一番関心のあるのは資本主義。

世界の富のトップの62人の資産が下層の36億人分の資産を超えている。

格差と貧困が広がっている。

ヨーロッパでは失業率が高い。

アメリカ大統領選挙もイギリスのEU離脱もそう。

資本主義に質的変化が起きている。

そうした大きな問いとそれに対する答えを考えるのが好き。

これからのテーマはシェア。

自動運転もシェアすることが早くなる。

それが地球の主流になる。

今はものが欲しくない。

断捨離とかものを減らしたい。

家もいらない、むしろ若者は買えない。

洋服もユニクロで大丈夫。

そんな時代にものを売るのは大変。

ものよりことが望まれる。

旅行に行くのは好き。

だから箱モノも自動車も売れない。

今までのOSを変えないといけない。

しかし、日本は遅い。

地球温暖化も大変。

海が熱くなり、水蒸気が増え、台風の発生する緯度が高くなってくる。

これからの戦争は自然災害だ。

青森でミカンが取れる、マラリアが東京まで上がってくる。

火星移住計画がある。

温暖化ガスを火星に充満させる。

海を作り、植物を植える。

テラフォーミング計画だ。

私は頼まれても嫌だが、マーズワン計画では火星に移住する人を選別している。

火星に移住するよりは地球の温暖化をなんとかしましょうと。

砂漠を緑地化できれば、人類が火星に行くのはもう少し先に行く。

こうした話は日常生活や商売とは関係ないようだが、繫がっていてすぐに回ってくる。

日本はインティファーダもないし、言論の自由もあって『ゆでかえる』になっている。

最新の宇宙論はユニバースでなくマルチバースで、インフレーション理論からビッグバンで加速して膨らんでいる。

地球は冷えていくし最後は死んでしまう。

無からインフレーションが生じるにはそういう理論が必要で、そう考えると人生観が変わる。

AIがブレイクスルーして人間の仕事の殆どは取られてしまう。

銀行や弁護士も取って代わられる。

人類を超えることはもうすぐだ。

そうすると人間の半分が働かなくてよいのか、それとも働けないのか。

シリコンバレーでは企業家がまじめにベーシックインカムの議論をしている。

そういう時代が来ている。

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その後、質疑応答となりました。

質問者A「びわ湖放送の東。①広告市場のうち、新聞ラジオが落ちてきて、その分がネットに移っている。かろうじてテレビは持ちこたえているが、民放の今後をどう見ているか。一方で有料チャンネルは定着するのか。②もう一つ、びわ湖放送はテレビ東京系の番組を購入しているが、生き残り策を」

小宮「①民放は大変。電通も弱っている。しかし、腐っても地上局だ。だが、地上波は今や貧者のメディアになっている。昼間、家にいるお年寄りが対象だ。若い人は地上波を見ない。フールーを見ている。テレビを見ない。テレビがインターネットに凌駕されることはない。生き残っていると思う。②テレビ東京は低予算で頑張っている。これからは知恵が必要だ。テレビ東京のドラマは安くて素晴らしい。他局では低予算でドラマが失敗すると俳優のせいにされる。コンテンツではニュースとスポーツ。ドキュメンタリーはもう死んでいる。SNSを使って個人でいくらでも発信できる時代だ。東京に行かなくても良い時代。大津が、滋賀が世界中とつながれる。行政が、企業が、個人がどんどんSNSで発信するべき。外国人が探して観光に来る」

質問者B「湖南市の市長。現場にいるとベーシックインカムの議論などは身近になってきているのを感じる。また、社会のOSを変えないといけないというお話だが、団塊の世代が多数なので難しく、その下の世代として苦慮している。①オウム真理教の施設が本市にあるが、最近は勢力を盛り返してきている。当時とは世相が違うがこれをどう考えるか。②政治家にたくさんインタビューしてきたというが、その中で人に聞かせる声を持った政治家は誰か。政治家として参考にしたい。③マスコミとネットの関係で相互に補完しあっているが、今後の見通しについて。④クレヨンしんちゃんが小宮悦子おねいさんをお気に入りだがどう思うか」

小宮「①オウムは高度成長のネガの部分であり、今の状況は当時と似ている。格差が広がり、苦しい若者が増えている。シルバー民主主義であり社会が変わらない。そうしたなかでオウム真理教は苦しい若者の受け皿の老舗になっている。しかもノウハウを持っている。松本智津夫を神にするということを捨てておらず、ポアの思想も捨てていない。ポアの思想というのは他人を殺してもよいという思想だ。もう一度力を持つのではないか。②声のよい政治家については、田中真紀子さんが父によく似ている。話の内容はともかく、話し方のリズムは惹きつけられる。また、小泉純一郎さんは、ワンワードでわかりやすかった。市長もなかなか声がよい。③ネットはネットで進んでいく。若い人はネットを信用する。マスコミはスクリーニングをしてすべてを伝えない。しかし、そこはプロの仕事だ。ネットが普及しても廃れない。ネットはアルゴリズムでニュースを選んでいる。そのニュースをマスコミが作っている。しかし、マスコミは経営も苦しくなっている。テレビより新聞が大変だ」

質問者C「近江八幡市の日吉。伝えることの大事さのお話だが、自分は技術系の話はわかるが、楽しいなという感覚がない。うまく行ったときに楽しさを感じるという話があったが、伝える楽しさを教えてほしい」

小宮「ブレイキングニュースのときには、自分で伝えなければならない。誰も頼れない。副調整室から原稿が入ってこなくなる。そこで、力が逆転する。これは楽しい。パートでは楽しくないが、自分の言葉で原稿を読むことができ、自分の真価が問われる。夢で、例えばペンタゴンを呼べばすぐにつながり、隣に記者がいて、切り替えられるとうれしい。本当は副調整室でやっているが、それを自分で作りたい。東日本大震災のあと4時間CMなしというのも面白かった。東電の会見がペーパーを読むだけだったので、自分の権限で止めてしまった。サッカーも面白かった。中田英寿は誰も注目していないときに私が発見したと言っても過言でない。当時は前薗や川口が注目されていた。ヒデのところには誰も取材に行かなかったときに30分以上インタビューした。フランスワールドカップのときには、ヒデはニュースステーションだけに出演してくれた。サッカー史の切り替えのときに遭遇したが、歴史の切り替えに立ち会えるのは楽しい」

質問者D「村西という(元愛荘町長)。久米宏と古賀茂明で・・・(小宮『それは報道ステーションの話なので、古舘さんとの・・・』)、メディアは民主主義の大変大事なツールだが権力の圧力は感じるか」

小宮「今は現場にいないが、政権からは文書が出ていて圧力はある。放送時間を合わせるとか。しかし、それよりひどいのはメディアが自粛をすることだ。そんなことを気にするのは安倍さんだけ。小泉さんはどんなに批判しても受け入れた懐の深さや明るさがあった。安倍さんは番組に出ないと言ったりして小さい。それになびくメディアの責任も大きい」

質疑応答が少し延びて、15時40分前に講演会は終了しました。

さらに、15時50分から懇談会となり、小宮さんも交え、官界や経済界の関係者のみなさんといろいろな情報交換をさせていただきました。

正面からいただけない情報に接することができるのもこうした場ならではです。

17時に懇談会は終了しました。

退出時に参加者が口々に『市長、クレヨンしんちゃんの答えをもらってないだろう』、『クレヨンしんちゃんの答えはなんだったんだ』などとと訊いてきました。

みんなちゃんと質問と答えを聴いていたのか。

でもね、そんなに知りたければ直接自分で訊いておくれやす。

小宮さんが忘れていたのかそれとも答えたくなかったのかわからなかったので、大人の対応でそれ以上ツッコまなかったんですから。

毎日見たくなる市長の
ホームページ、目指しております。