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全国市長会東京電力福島第一原子力発電所現地視察

「福島県楢葉町のJヴィレッジで防災服や作業服に着替えた市長たちは、核セキュリティ対策だとしてカメラ付き携帯・スマフォまで持参を禁止されました。なので、出発前に勝部一関市長、布施登米市長と記念自撮りしておきました。バスに乗って20キロほど離れた大熊町の福島第一原子力発電所まで移動していきます。その途中で富岡町や大熊町の被災状況を窓から視察しましたが、ここまでは別にカメラがあっても問題ないのではないかと思いました。」

「13時30分に福島第一原子力発電所に到着しました。入り口では岡山県警が警備していました。入退管理棟の前にバスがつきましたが、入退管理に時間がかかるため、一度に降りることはできず、近畿市長会以西の市長と事務局はバスに留め置かれました。入退管理棟の向かいには新しい3階建ての事務棟が聳えています。横からの放射線を防護するために窓のない建物です。ここで1000人ほどが働いているということでした。古い事務棟はすべての窓がありませんでしたが、新しい事務棟では上からの光を取り入れる工夫があり、ある程度息苦しさが解消されているそうです。」

「入退管理棟からたくさんの作業員が出てきていました。福島第一原子力発電所の朝は早く、Jヴィレッジを朝の5時や6時に出発して作業をするとのことでした。そのためにお昼過ぎが退勤の時間帯になるとのことです。熱中症対策として14時から17時までは作業が禁じられているとのことで、あとは夜間の作業になるとのことでした。」

「先の班の作業が進んだようで、残っていた半数もバスを降り、入退管理棟に向かいました。そこで首から下げる黄色いIDカードを渡されました。入構した人と退出した人の数を合わせるための措置です。まずは入退を管理するゲートに入り、IDカードをかざしてテンプレートに番号を打ち込むとゲートが開くようになっていました。」

「次に待合室で全員の集まるのを待ちます。そこで累積放射線計を渡され、IDカードの紐にぶら下げます。さらには靴の上からビニールカバーをし、手袋をしました。これでいろいろなところを触る手とあちこちを歩く足の裏を防護します。今は除染により空間線量が低くなっているので、高台においてはタイベックスや全面マスクの着用は不要になっています。」

「構内バスに乗り込むと、そのバスの上に空中の廊下がかかっています。この先には8月に完成した1200人分の休憩施設があります。また、食堂があり、給食センターから食事が届けられます。これまでは、こうした作業員の作業環境が整えられていませんでしたが、ようやく落ち着いて作業ができるようになったとのことでした。」

「構内バスが向かったのは、いわゆる高台と呼ばれる35メートルの大地です。それまでに車窓からは膨大な数の自動車が停車している風景が見られました。そのうち800台はナンバープレートのない構内専用の車だといいます。放射性物質はラジエターやゴムに付着すると取れにくいそうで、構内に自動車工場を作って整備しながら使用しています。構内駐車場にはナンバープレートのないワンボックスカーに『熱中症対策用』と貼り紙がしてあったり、原子炉への注水作戦『キリン作戦』に活躍したおなじみコンクリートポンプ車が2台並んでいたりしました。」

「もともと高台の森であったところは、伐開してタンクが林立しています。これは汚染水を入れるタンクで、900基が並んでいます。当初はフランジ型でしたが、ボルト部分から汚染水漏れ事故があり、今はシームレスなタンクに切り替えており、9割ほどまで切り替えが進んでいます。」

「汚染水を浄化するための大きな浄化システムが3基あります。ふたつはアメリカの技術で東芝が作ったアルプスで、一日750トンの汚染水から62種類の核種を取り除くことができます。2基で1500トンを処理しています。もう1基は日立製のアルプスで、一日500トンの処理能力があります。この3基で一日2000トンを処理することができるようになり、ようやく汚染水処理が追いつきました。」

「35メートルの高台周辺は、放射線を出しやすい雑草や樹木を撤去し、土が見えないようにセメントやアスファルトで被覆しました。そのフェーシングのおかげで、高台では線量が低下し、タイベックスや全面マスクが不要になり、作業環境が劇的に改善されました。」

「1号機から3号機を臨むことのできる高台には地下水ドレンをたくさん打ち込み、環境基準に適合するまで浄化して放流しています。また、マイナス30度のパイプを1号機から4号機の周囲1500メートルにわたり通し、凍土壁を作っていますが、一部がまだできていないそうです。」

「そこから高台を降りて、海抜10メートルエリアの4号機に近づいていくと、バスの中でも空間線量は6マイクロシーベルト毎時となりました。除染をして地面を被覆するまでは100マイクロシーベルト毎時ほどあったそうです。そして、4号機の西側前では10マイクロシーベルト毎時ほどとなりました。」

「4号機の建屋は3号機から流入した水素で爆発しましたが、定期点検中で使用済み核燃料はプールの中にありました。それを4200トンもの鉄骨材(東京タワー相当)を使って囲い込み、1本ずつプールから取り出して共用プールに移す作業を進めたことで、平成26年12月12日にはすべての使用済み核燃料が4号機から搬出されました。4号機の周りにも地下水ドレンがあり、地下水を汲み出しています。」

「水素爆発をした3号機は、現在建屋上のがれきが撤去された状態で、これから大型クレーンを遠隔コントロールしながら、むき出しの使用済み核燃料プールにカバーをかけていきます。」

「3号機西側前では100マイクロシーベルト毎時だった空間線量は、3号機と2号機の間を通り抜けようとしたときには308マイクロシーベルト毎時にまで跳ね上がりました。見上げると3号機建屋は水素爆発の傷跡も痛々しく、分厚いコンクリート建屋の壁が吹き飛ばされ、鉄筋が剥き出しになっていました。海岸まで出ると、そこは作業スペースとなるためUターンをし、再びバスは3号機と2号機の間をすり抜けていきます。2号機は1号機の水素爆発で建屋が破損し、水素の圧力が抜けたため爆発していませんが、デブリの行方はわかりません。」

「その隣の1号機は、建屋の上にまだがれきが載っており、これから大型重機で遠隔コントロールしながらがれきを撤去するそうです。その後、使用済み核燃料を搬出することになりますが、ここでもデブリの行方はわかりません。海抜10メートルエリアの汚染水処理には、サリーとキュリオスが使用されています。このあたりではまだまた空間線量が高いので、タイベックスは必須で、作業員は手袋も何重にもし全面マスクの重装備で作業しています。」

「再び35メートルの高台に戻ると、大きなコンクリートボックスがたくさんあり、その上にクレーンがありました。汚染されたものをコンクリートボックスに入れて遮蔽しているとのことでした。」

「また、汚染水からはトリチウムだけは取り除けないので、3日でひとつずつタンクが増えていっています。さらには使用済みタイベックスは7万立方メートル分あり、焼却処分のための施設を敷地内に建設中です。」

「5号機と6号機のエリアでは、非常用ディーゼル発電機が被害を免れたので、冷温安定化に成功しました。ここは浪江町です。5号機と6号機のエリアの入り口には福島県警が警備していました。」

「バスが免震重要棟に到着すると、まずは靴を脱ぐように指示されました。その後、視察室に案内されました。そこまでの廊下は質素なものでしたが、壁は全国から東京電力福島第一原子力発電所で頑張っている職員、作業員に向けての激励のメッセージで埋め尽くされていました。心がくじけたときにはこれを読め、などという同じ作業員に対する案内までありました。」

「視察室では、福島第一原子力発電所の内田所長があいさつをし、現状について説明をしてくれました。その後、全体を2班に分けて、今度は近畿市長会以西の市長のグループが先行して、緊急対策室に移動しました。緊急対策室に入る前に、サンダルを履き、ゲートをくぐりました。」

「緊急対策室は、あの吉田所長が官邸や本店とテレビ電話でやりあった部屋で、多いときには200人弱が詰めているとのことです。真ん中に本部長以下20人の円卓があり、その後ろにそれぞれを支援するシマが10以上ありました。事故当時は見えなかった原発を映し出すモニターも新設されていました。また、事故当時は水素爆発で生じた隙間から流入する空気や慌ただしい作業員の出入りで、緊急対策室ですら12マイクロシーベルト毎時の空間線量があったそうです。そのため、吉田所長もタイベックスを着込んで指揮を執っていましたが、今では建物も修復されてほぼ低い値になっており、普段着で仕事ができるようになっています。」

「緊急対策室を出るときにもう一度ゲートをくぐり、視察室に戻ると、残り半分の班が緊急対策室を視察に向かいました。全体の視察が終わり、全員で記念撮影をしました。そこにサンダルをおいて退出しようとしましたが、来たときもそうでしたが、すれ違う若い作業員たちが、誰もが口々に『こんにちは』、『ご苦労さまです』と明るくあいさつをして通り過ぎて行きました。現場の重苦しい空気は感じることがありませんでした。」

「靴を履いてバスに乗り、入退管理棟に着くと、靴のカバーと手袋を剥ぎ取ってボックスに入れました。最後に手と足の裏を中心に体に放射性物質が付いていないかを確認するゲートをくぐり、積算線量計でγ線が0.01ミリシーベルト、β線が0ミリシーベルトであることを確認し、15時30分に視察を終了しました。」

「改めて別のバスに乗り込み、来た道を逆に帰りました。東京電力は落ち着いた現場の実態を国民に伝えてほしいと言いましたが、それなら写真撮影をさせるべきだったと思いました。どこにも核セキュリティとやらで差し障りのある風景はありませんでしたから。まったく、スマフォを没収されて、写真もメモもない中でこれだけの内容は、記憶の新しいうちだったから書き起こせたんだぞ、東京電力さん。細部で間違っていたら東電のせいですぞ。」

「16時にJヴィレッジに到着しました。ここで市長たちは防災服や作業服を背広に着替え、さらにバスに揺られました。バスの中では三上湖西市長や中山石垣市長と話しながら、18時過ぎにようやく秘書の待つ郡山駅に到着し、視察団を解散しました。」

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