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東京電力福島第一原子力発電所現地視察事前説明会

11時20分から福島県楢葉町のJヴィレッジで東京電力福島第一原子力発電所現地視察の事前説明がありました。

まず、全国市長会副会長の立矢秀清相馬市長から『放射能について』と題した講演がありました。

「東京電力の話を鵜呑みにすることはできないので、先に私から話しておきたい。実際に首長として放射能被害に対応してきた。データも取ってきた。実際に現場でどういうことが起きているかを知ってもらいたい。 まず、シーベルトとベクレルの違いについて。シーベルトは放射線により体が受ける影響をいう。政府は20ミリシーベルトで規制したが、これは放射線により体が受ける影響のことだ。放射線は光の波長の短いものでエネルギーを持っている。α線やβ線、γ線が体の中に入り、遺伝子を破壊する。普段からも宇宙放射線で少しずつ傷ついているが、その傷を体は修復している。それを修復しきれなくなると影響がでる。ウラン235が放射線を出す。これが分解されてセシウムやストロンチウムになっても出てくる。放射線を出す物質の代表がウラン235。核反応で分裂するときに熱を出すので発電に使うが、分解されてもセシウムやストロンチウムも放射線を出す。放射線を出す能力を放射能という。懐中電灯と光でいうと、懐中電灯は放射能を持つ放射性物質。 ベクレルは放射線を出すポツポツの量のことだ。ポツポツに対して無防備だと体が影響を受ける。それをシーベルトで示す。行政的にはシーベルトが大事。 放射線にもいろいろある。α線がある。トリチウムが出すのがα線。これは弱い。紙でブロックできる。トリチウムのα線ではあまり影響がない。海岸で裸で泳いでも影響はない。しかし、トリチウムを含んだ水を飲むと内部被曝する。もう少し元気なβ線、さらにアルミニウムでは防げないγ線がある。 今回、政府は20ミリシーベルト被曝するところに居住制限をかけた。医療関係者は50ミリシーベルトだが、今回は20ミリシーベルトとした。CTスキャンは1回10ミリシーベルトなのでCTの2回分だ。レントゲン写真1枚は6ミリシーベルト。胃のX線は3ミリシーベルト、東京ニューヨーク間の往復で0.2ミリシーベルト、200回往復すると20ミリシーベルトになる。 チェルノブイリではソ連が3日間、情報を隠した。牛が放射能を浴びた草を食べて、そのミルクを飲んだ子どもが6000人が甲状腺がんになった。そのうち亡くなったのは20〜30人だろうが、共産党政権が情報を隠した罪は大きい。 現場の首長にとり、国の主張は無茶苦茶だった。学校での被曝線量を1ミリシーベルト以下にしろと言った。文部科学大臣は学校にいるときのことしか考えない。首長は住民の全生活を考えないと行けない。子どもは学校にいるときだけではない。365日24時間でトータルどうするのかと文部科学省を責めたが、彼らは口を割らない。仕方なく、自分たちで決めるしかなかった。学校で1ミリシーベルトなら全生活で4ミリシーベルトか5ミリシーベルトかと。しかし、市長としてはあくまでも対策目標に過ぎない、だから2ミリシーベルトにしようとした。しかし、子どものやることでもあり誤差もある。そこで4ミリシーベルトの半値ハチがけで1.6ミリシーベルトとした。 そうするうちに、ICRPが1ミリシーベルト以下が望ましいとしたら、日本政府は長期的に1ミリシーベルト以下がよいと言いだした。この間まで20ミリシーベルトまで大丈夫と言っていたのに、それでは長期的にとはいつまでのことだと聞いても答えがない。わけの分からないうちに1ミリシーベルトに下げる努力が始まる。1ミリシーベルト協奏曲だ。 相馬市内の放射線量は減ってきていた。これが増えれば集団移転しないと行けないと思った。担架を買って、担ぐ消防団員も決めていた。しかし減ってきた。今だから言えるが、茨城県に逃げる準備はしていた。どこまで線量が行くと逃げなければならないのかについては、国に従うしかない。SPEEDIが公開されなかったから南相馬のみなさんは線量の高い飯舘村に逃げた。 避難者が、『市長、逃げなくて大丈夫か』と詰め寄ってきた。殺気立っていた。避難所で右手に線量計を持って、数値が上がれば逃げればよい、勝手に逃げると災害弱者が生まれる。 物流業者が逃げた。薬が入ってこない。そこでトラック部隊を作って東京に派遣した。健康対策専門部会を作って知恵を結集した。健康診断も行った。 市内全域の放射線調査もした。飯舘村に近いほうが高かったが、年々下がり、今はほとんど低い。子どもたちは、ガラスバッチ測定で数値を1.6にして、子どもたちを徹底的にマークした。最初は81人、次の年に16人、3年目にゼロになった。外部被曝の検査でも1ミリシーベルトの子どもを注視した。内部被曝の子どもはゼロだった。擬陽性の家にガイガーカウンターを置いた。最初の81人には家の中の環境を徹底的に調査した。また、家族に医師から説明を行った。放射能教育も子どもたちに行った。放射能は正しく怖れ、賢く避ける。相馬市は絶対に安全。きちっとやれば何とかなる」

次に東京電力福島復興本社副代表からあいさつがありました。

「この間、原子力に伴うご心配をおかけしていることにお詫び。直近では7000人が廃炉や汚染水対策に従事している。課題は溶けた燃料をどう見つけて処理するか。使用済核燃料を建屋からどう取るか。廃炉推進カンパニーと地域のお手伝いや賠償をする福島復興本社のふたつの組織で対応している。福島の復興が第一の課題である」

さらに、東京電力廃炉推進カンパニーから福島第一原子力発電所の現状についての説明がありました。

「福島第一原子力発電所は350万平方メートルの敷地面積がある。津波は15メートルまであり、海抜10メートルの建屋にあった1〜4号機に水が侵入した。5、6号機も高台にあるが海水が侵入している。1〜4号機側は爆発、5、6号機は偶然非常用発電機があり、冷温安定化に成功した。海抜35メートルの高台の森を伐採したエリアにタンクを設置している。インサーブされたタンクが9000個ほどあり、汚染水をためている。大きな浄化装置は3台設置されている。免震重要棟で指揮を取ってきた。タンクエリア、高台から全体を見て、4号機まで近づいて見てもらう。その後、5、6号機を見て1〜4豪鬼との違いを比べてもらう。護岸は津波で破壊されたまま。事故当初はここJヴィレッジからタイベックスを着ていった。その後、除染が進み、高台でも一般作業服で作業できるようになった。事故に対する対応ができた理由は、免震重要棟があったということ、350万平方メートルという広大な敷地が確保されていること、Jヴィレッジという巨大な基地が近隣に確保できたことの3点が挙げられる。これからは、各ユニットにある使用済み核燃料をまず取り出し、その後にデブリを取り出していく。そのための建屋内調査とロボット開発を進めている。今やっているのは溶けた燃料に水をかけている。汚染水を循環させて冷やしているが、地下水が流入して汚染水を増やすので遮水壁を作っている」

予備知識を得て、防災服に着替えた全国市長会の一行は、バスに乗り込んで大熊町の福島第一原子力発電所へ向かいました。

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