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『子どもの貧困について考える』フォーラム

14時から湖南市西峰町のサンヒルズ甲西で開かれた湖南市社会福祉協議会主催の『子どもの貧困について考える』フォーラムに出席しました。

最初に登壇し、市長としてあいさつをしました。

湖南市は6月8日に発足した『子どもの貧困問題を考える首長連合』に加盟しています。

その後、『子どもの貧困と地域の支援「と題して、龍谷大学山田容准教授から次のような講演がありました。例によってスマフォでチネチネとメモしましたので、文責谷畑で雰囲気をお楽しみください。 《子どもたちを取り巻く貧困を研究している。実際にどういうことが起き、どういう支援が必要かという話をしたい。まずは朝日新聞の記事から。『ティッシュって甘いんだよ』という衝撃的な記事だ。白米、サラダ油、しょうゆ、2年前に生活保護を受けるまでの献立。バランスの悪い食事だ。油で腹を満たすのもおかしい。しかし、貧困の子は食べられないわけでなく、バランスが悪いので肥満にもなる。そんな困窮状態になっても周囲に助けを求められなかった。ここが多くの人の疑問だ。助けてといえばいいのになぜ言えないか。みなさんは言えるか?また、夫の暴力に耐えられずに家を出て、派遣社員で月収は15万円ほど。今はどんな職業もあるのにと思う。しかし、女性の貧困では、貧しい人から金を巻き上げる人がいっぱいいる。DV、虐待を受けた人と貧困は多く重なる。自信がない。世の中との接触を断ってしまう。自己責任は少しはあるので自分を責める。福祉も医療もこの人とためだけには動かない。生活保護を受ければ良いというが、なかなか受けられない。生活保護を受けると車を持てなくなる。このまちで車がないと生活できない。うつと貧困はつながりが深い。相談できないなか、病院職員がなんとか動いてくれてよかった。うつが悪化し、就労は困難だとして生活保護が認定され、今では月18万円、これが今の貧困線。しんどいけどしんどいと言えない人が多い。声がないから困った人がいないわけではない。 次に『それ買っても大丈夫なの』という記事。夫の浮気や事業不振で離婚して、居酒屋で調理のパート、金曜はスナックで働いた。今の世の中離婚は多い。離婚は自己責任というがいろんな理由がある。女性には限られた仕事しかなく、2つ、3つ掛け持ちしている。500円ほどのお茶代が払えなくなり、ママ友との付き合いから遠ざかった。両親は年金暮らしで祖母の介護もある。ママ友から離れて孤立する。実家も大変で、実家との関係の悪い人もいて、地域や実家とつながらなくなり、急速に貧困化する。そういう親を子どもはとても心配する。痩せたことを心配した職場で声をかけられる。子どもは地域の子ども食堂へ。誰かがそっと見ていてくれて助かった。新しい例だ。知人でなく地域が支えている。 相談相手の有無では、2割が相談相手がいない。いると回答したうちでは、親族が5割、知人隣人は4割だが、公的機関や民間団体は1割弱。相談機関を増やしても足りない。知人友人をいくらつくるかが大事だ。 子どもの貧困を巡る状況としては、日本は貧困がなくなったとされてきた。高度経済成長で貧困が見えなくなった時期があった。そうしたとき、例外的に見えた貧困に対して自己責任まで支援するのかという批判があった。一方で子どもは支援すべきだろうという声もあり、私たちは今、戸惑っている。2012年のOECD調査で、日本の子どもの相対的貧困率は16.3%だ。17歳以下の6人に1人が貧困状態にある。これは親1人子ども2人で年122万円、月17.6万円以下で生活している世帯の割合となる。なんとか生活はできる。餓死しない、裸で歩かない、家がないわけでない。絶対的貧困はいないが、塾に行けない、本を買えない、深刻な家庭がある。しかし、実は1985年の相対的貧困率も10.9%で、今の親の世代から少しずつ貧困は進行していた。日本は税金を子どもに使わないで高齢者に使い、子どもは家庭でなんとかしてくださいとしてきた。そのため、下から10%の最貧困層が深刻化してきて、どんどん格差が広がっている。子どものいる世帯の所得は、平成8年で781万円だったものが平成26年には696万円と下がり続けており、進学を諦めざるを得なかった子どもも多い。これを自己責任とは言えない。母子世帯が特に苦しい。平均すると年収223万円が、稼いでいる層もある一方、多いのは200万円の層だ。母子家庭の就業率は85%で非正規率が高い。過去一年間で食料が買えない経験がひとり親世帯では32%あった。 子どもの貧困の背景として、経済状況が悪化し、非正規労働等の労働環境が悪化した。日本では失業率は低いが非正規が多い。第二次産業は中国やアジアにとられたので、サービス業に就けない人は、結果として劣悪な仕事にしか就けなくなる。セーフティネットが日本では乏しいが、家族がちゃんとできることを前提に児童福祉の社会保障が組み立てられているからだ。高齢者は介護の社会化が進んでいるが、子育ては家庭内で面倒を見ることになっており、逆に出生率の高いフランスは社会で育てるようになっている。大正10年の日本の家庭は平均5人で、たくさんの支え手があった。今は2.5人であり、一番多いのが一人世帯だ。すると、ご飯を作るとか子どもの面倒を見るという人手がない。これまではそれを女性がやってきたのに共働きが増えてきた。女性が、家事、育児、介護、さらには労働に福祉までを担うのは無理がある。母子世帯になっても最後まで母親が子どもの面倒を見ることになっており、虐待の加害者の50%は母親となる。生活保護の不正受給は全体の2%しかないが、その一方で補足率は2割しかなく、生活保護水準以下で生活している人はもっとたくさんいる。児童手当も児童扶養手当も満額あっても生活できないので働くが、医療の問題や保育の問題や住宅問題もあり厳しい。 こういう状況の中で子どもは貧困であり、こうした子どもの貧困の影響が出てくる。女性の貧困と子どもの貧困は重なっており、少し弱さを抱えると貧困に落とされてしまう。日本では家族がいることを前提に地域が支え合うとして社会ができているが、理想とされる『三丁目の夕日』の世界はできないし、子殺しが多く本当に良い時代だったかどうかもわからない。 貧困の影響は一つの原因でなく、原因と結果が絡み合っている。健康、孤立、虐待、子どもの発達など多様につながっている。親の精神状態が関係しており、何らかのしんどさには貧困の影響もある。虐待は貧困との関係が強く、結果として起こる虐待がほとんどで、意図した虐待は見たことない。多くの親は子どもに愛情を注ぐが、少しずれてしまった子育てが虐待になる。子どもに関わらないネグレクトがあるが、水商売で夜に家を空けたところを通報されればネグレクトとされる。しかし、だからといって仕事の選択もできないし、子どもを預かってもらう先もない。そうしたイライラを子どもに当てて結果として虐待となる。 『私も貧乏だった』という話をする人がいるが、社会全体が貧乏だった時代と今とは違う。全体ではきちんと食べられているのに、なぜうちの食事だけサラダ油をかけているのかという問題で、子どもはそれを言えない相対的貧困だ。自己肯定感が持てない子どもがおり、安定した居場所がなく、家や学校での環境が悪い。そうすると自分の存在が負い目となる。親との親密な関係機会がなく、声をかけても疲れた親が反応せず、自分のしんどさを受け止めてもらえない。子どもには評価、期待、関心を得る機会が必要であり、例えば近所の人とのあいさつを学ぶような場がない。今晩の食事のことを心配していると、毎日が心配で、来年や二十歳の自分のことを考える余裕がない。人間は言葉にしたことから将来を作っていくが、そうした機会がないと、今日、明日をどうするかしか考えず、希望を持てない。将来に向かった希望というエネルギーがなくなる。学力、学歴との相関では、昔は国立大学が貧困家庭の受け皿だったが、今は入るのに塾が必要になった。小学校低学年が大切で、絵本を読む、動物園に行くなど、将来こうしようと動機を持つのは、低学年のときの文化的体験から来る。幼少期に守られていればよいが、経験を親と一緒にできることは大事だ。生活保護世帯がでも高校進学率は高いが、高校後の進学率は低い。高校中退の子は中卒となり限られた仕事にしかつけない。高卒と普通自動車免許があれはなんとかなるので、学歴と資格を持てるか、そしてそれは自信にもつながる。 関係性の貧困とはつながりがないこと。人間は就労、トラブル、悩みについて、家や友達、恩師にちょっと頼る、励ましてもらう、そうした支えられているネットワークのつながりの中で生きている。しかし、貧困家庭は実家も貧困なので、実家から支えられない。心理的サポートがないので離職や転職も安心してできない。友達付き合いができない、サークルに入れない。ネットワークがないことで選択に苦しみ、孤立すると寿命を縮める。困ったときにどんな支えがあるかが大切だ。内的な心情、気持ちの問題と、条件、困りごとに出会ったときに対処する能力がない。これくらいはできるだろうというものが、そういう人には負担が大きい。もともと自信がないのに怒られて辞めてしまう。自分はだめだなと思う。うまい話があると、誰にも止めてもらえず騙される。迷惑メールにいっぱい乗っていく。そして、貧困ビジネスや性労働に転落していく。負の連鎖を止められないのが孤立だ。 母親の生育環境と生活保護受給割合は、親が生活保護であったとき、貧困率も生保率も高い。また、離婚やDVも多い。これはつながっており、本人の責任とは言いきれない。中卒や離婚が貧困率を高める。こういうことはよくあるが、それで貧困にならないようにしないといけない。 社会は支えてもらえない場合がある。市役所も生保をすぐにとらない。予算の範囲もある。申請主義だし、生活の話だけしか聞かない。病院では病気だけ。家族のように全体を聞いてくれる人がいない。サービスを調整してくれる人がいない。 自分の力で情報を集め、判断し、対応できる人がどれだけいるか。介護保険もケアマネが合って初めて高齢者が手続きできる。子どもや貧困でもそういう役割があってよい。学校の先生や民生委員も動いているが間に合わない。世の中でちょっとずつ支えていこうというのが社会の協働だ。 子どもの貧困対策法など法整備が進んだ。学校をプラットフォームにし、学校を子どもの貧困対策の拠点とするという。しかし、先生はとてもたいへんだ。学校にSC、SSWが派遣されている。いるけれども足りない。要保護児童対策協議会から要請して出してもらうこともある。学校で先生に貧困問題を負わせるのは無理で、先生には教育をしてもらい、別に福祉を入れる必要がある。また、生活困窮世帯の学習支援や子どもの就労支援、保護者の就労支援、学び直し支援の制度もある。しかし、やはり経済的支援が大きい。日本はお金がないのは承知しているが、子どもに投資しないといけない。10年後20年後に納税をしてくれる人材になってもらわないといけない。高齢者を放っておいてよいわけでないが子どもに投資が必要だ。貧困調査もしている。 地域での子育て、子育ち支援でふたつの調査をおこなった。まず支援者の調査をした。すると、今ある支援では来談型はあるが相談に来ない。貧困に追い詰められている人は相談に来ない。出向くアウトリーチ型が必要ということだ。虐待関係で今乳幼児の全戸訪問している。アウトリーチは必要だが難しい。来なくて良いと言われる。つなぐのにいいのはお土産を持っていく。おもちゃや図書券を持っていくとよい。保護者との関係形成が難しい。しかも、他の機関とつながっていない。出会った人は自分のできるだけのことをしているが、横につながっておらず、他機関への紹介が少ない。 もうひとつの、ひとり親家庭子育て調査から、実際に頼るのは家族、親族、知人だとわかった。身近な支援者を増やすべきだが、プライバシーに配慮した新しい地域のつながりづくりが大事になってくる。市民的専門性のある人が増えると、日常生活をともにしなくても志を一緒にできればよい。 そのひとつが学習支援活動。動いているのはNPOで保障がなく偏りがある。また、最近滋賀県で急増しているのは子ども食堂。滋賀では30ヶ所で、滋賀の縁創造実践センターが意図的に増やしている。給食のない夏休みに子どもたちは何を食べているのかを心配している先生が多い。貧しい子どもだけが対象ではなくし、行きやすくする工夫をしているが、来てほしい人が来ない悩みもある。旧来型の地縁だけでない新しいつながりをつくる。こんなことができるのか、という声かけが子どもにとって大きな励みになる。叱られることが将来の財産になる。手間のかかる子どもほどサポートが必要。できることは限られているがゼロではない。 子どもたちのことで、社会を動かす力が私たちにはまだまだある。一部なら出せますという人を100人集めればすごい力になる。》。 その後、『困難を抱える家族への相談援助』、『子どもの居場所づくりの現場から』の事例報告がありました。

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