.

第2回湖南市市民農業塾

13時から湖南市西峰町のサンヒルズ甲西で開かれた第2回湖南市市民農業塾に出席しました。

最初に市長からあいさつをし、第一部として湖南市内で農業を頑張っている5人が登壇しました。

どんなことをしているのか、なぜ農業を始めたのか、今後どうしていきたいのかなどについてそれぞれの思いを話してもらいました。

《有限会社アグリ甲賀 高畑学》 平成26年に有限会社アグリ甲賀を継承、地元密着、地元循環の農業を目指している。

経歴は、湖南市生まれの41歳で妻子あり、息子2人、娘1人、龍谷大学経済学部卒業後、有限会社ティアイケィ農産に入社、同時に有限会社アグリ甲賀にも入社した。

一昨年、アグリ甲賀の代表取締役に就任した。

どんなことをしているかといえば、預託圃場の管理や作付け、農産物販売、汎用コンバインやラジコンヘリのオペレーターなど。

なぜ農業をはじめたのかといえば、もともと農家の長男だった。

小学4年生からトラクターを運転していた、もちろん無免許で。

草刈り機も小学5年生から扱っていた。

まさに農業界のサラブレットだが、農業は大きらいだった。

それは、教科書でも江戸時代から農家は大変で、しんどいし、イメージが悪いし、家族旅行に行けないからだった。

しかし、それがひっくり返った。

浪人時代と大学4年間で農業のアルバイトをした。

そのとき、同世代がコンバインに乗っているのをみてとても格好良かった。

同世代の多くの農業者に出会い、かっこいい、面白いと感じるようになった。

大学3年のときに人生が変わった。

JA甲賀岩根支所の会議室で1億円の借金を背負って就農した。

借金から5年間は必死のパッチで働いた。

10年目までは収量のアップや省力化・機械化に努め、15年目までは圃場の整備や効率化を進め、それ以降は食味(美味しさ)を追及している。

自分の中で変化があったが、『周囲の支えがあってこその自分』であると感謝の気持ちが生まれ、美味しいもの、安心安全なものを届けたいということを追求する。

美味しいを形にするのに、畦の草を手抜きしている。

光合成成長を促し、知ってもらうために名刺も作った。

観光協会からこにゃんの意匠もお借りして商品のPRもし、差別化している。

水口の同級生に酒米を出し、着物のかわきたにもパックで出荷している。

また、ふるさと納税にも出している。

これからについては、自分の仕事、作ったものに誇りを持っていきたい。

3Kといわれてきた農業をかっこいい産業へしていきたい。

時代を担う子どもたちに夢を与えたい。

そのため、ラジコンヘリやエアコンの効いたコンバインなど憧れを持たれる職業としたい。

自分も父親の背中を見て育ってので、子どもたちも私の背中を見てかっこいいなと思ってもらいたい。

《株式会社fm craic 佐々木由珠》 脱サラ女子で弥平唐辛子の生産加工販売をしている。

6年前に新規就農した。

学生の頃から滋賀以外の世界に憧れ、大学卒業後、都会でサラリーマンをしていた非農家出身の女子二人が、たまたま同時期に故郷に戻ってきた。

7年前に滋賀県職業訓練校アグリファームに入り、4ヶ月学んだ。

当時は食料自給率などが課題とされていたことから、なんとなく農業をやってみたいということでこの世界に入った。

農業の基本について1ヶ月農家のもとで研修した。

fmはファームいう意味とFMから発信するという意味をかけている。

craicはアイルランド語で賑やかな、楽しい、面白いという意味。

農業を通じて楽しい、面白いことを発信し、自他ともに心地よい空間を生み出せるようにしたいという意味だった。

2011年1月にめどもなく株式会社fm craicを設立した。

この会社は3つのCを目指している。

とにかく楽しいというCraic、地域のカラーを見出すColorful、居心地の良さという意味でComfortable。

夏働いて冬バケーションも可能なのが農業だ。

伝統野菜弥平唐辛子との出会いについて。

非農家なのでゼロからスタートだった。

大規模農家と同じものではダメなので、付加価値をつけられるものを探した。

伝統野菜や海外野菜。

湖南市では最初は下田なすを栽培した。

当時はあまり出回っていなかった。

師匠に出会うまでは弥平唐辛子を知らなかった。

師匠は、下田なすには弥平唐辛子が一緒に売れるということでその苗をくれた。

半信半疑で畑のすみに植えた。

ビギナーズラックだ。

下田なすを秋に収穫すると年間の作付計画もしてなかったのでやることがなくなった。

すると畑のすみに弥平唐辛子があった。

弥平唐辛子はかじると辛いだけでなく味があり、これを加工してみようとなった。

弥平唐辛子は100年以上前に弥平さんという人が湖南市下田に持ち込んだ。

地元では下田なすの漬物に漬け込む脇役であり、特徴は鮮やかなオレンジ色。

辛さは10万スコヴィルということで鷹の爪の2倍だが、辛さの中に甘みがある。

甘みは11.5度でスイカレベルだ。

弥平唐辛子の持つ意味は、ここでしかできないという明らかな差別化ができるものであり、地元を自慢できる、好きになれる。

そして地域が儲かる、すなわち、誰かのものでなく地域のもの、誰もが設けられるものということだ。

オリジナル商品としての開発は、単純に自分たちが食べたいもの、ほしいものをつくり、包装も土産用にカラフルにした。

観光協会との協力など自分たちだけでできないことをできるようになった。

最初は見向きもされなかったが、新聞などのゼロ円広告で少しずつ知ってもらえてきた。

あちこちから問い合わせが殺到した。

昨年、5年目で初めて栽培を大失敗した。

青枯れ病で畑が全滅し、収穫がほぼゼロとなってしまった。

下田では家庭で必要な分だけ栽培してきたので、大量栽培のノウハウがなく、必要な分だけの栽培なので他から仕入れができない、他で代替えできないという課題に当たった。

たまたま近所で少し分けてもらったが、半年間は在庫ゼロ。

つまり収入ゼロになった。

そこで、自分たちだけでできることに限界があるので、地域のものを地域でと栽培委託をすることにした。

みんなでがんばっていくこととした。

失敗したら立ち止まって考えることにした。

6年目の今年は安定供給の対策を考え続け、全国にPRしていく。

特産品の商品開発、プロデュースをしたい。

去年、しが農業女子100人プロジェクトを立ち上げた。

農業は女性向きで、時間配分を自分で決められる最高の職業。

あとに続く農業女子を支えていきたい。

《Nora510 後藤素子》 先輩がたくさんいる中で、農業人というくくりは恥ずかしい。

しかし、ここぴあができて、ど素人でも農業に参入出来るんだという意味で話したい。

2013年に千葉県流山から移住した。

3年間、湖南市地域おこし協力隊で、最初の2年間は石部でコミュニティスペースを運営していたが閉鎖されたため、3年目に下田の耕作放棄地を借りて耕作を始めた。

今年の4月からは自分で稼ぐため、一般社団法人地域活性化支援ネットワークに就業し、『かき舎香貴丸』を担当している。

下田まちづくり協議会の『ちょこっとカフェ』で月曜日にスイーツを提供している。

牡蠣は冬場のものなので夏場はお客さんが少ない。

地域活性化支援ネットワークは、もともと特産品作りなどを進めており、香貴丸のキッチンで夏場になにかできないか改修中だ。

2015年4月に市民団体ファーム十二坊から下田保育園前の耕作放棄地を借りて、湖南市内ではだれもやっていなかったので、西の湖ファームで自然農のやり方を習い、下田でそれを復習する1年だった。

4畝を借りていたが、2畝しか植えられず、無農薬で手植えなので12キロしか収穫できなかった。

おままごとのようだが、収穫で来てよかった。

今年は菩提寺の横山農園を借りてコメを植えている。

4月からかき舎香貴丸で世話になっている。

農協倉庫を改造して牡蠣を提供している。

今後はNora510でお菓子やジャムを作っていきたい。

なぜ農業に取り組もうと思ったのかといえば、福島原発事故を受けて流山市は放射能汚染重点調査地域となった。

流山は首都圏に野菜を出荷する地域であり、顔の見える関係で朝取り新鮮野菜を食べていたが汚染されており、顔の見えない九州産を食べることとなった。

そこで悩んで移住したのが滋賀県湖南市。

安心できる食べ物は自分で作るしかないと考えた。

農業を始めてからの心持としては、草刈りを始めたらハマってしまい、マシンと化してしまう。

夫にスケジュール管理してもらっている。

今頑張っていることは、貧乏暇無しで田んぼや畑に入る暇がないが、下田がフィールドなので少ない時間でも見に行くようにしている。

つらいのは天候に左右されて思い通りに行かないこと。

これからの目標は、短期的には今年の収穫をきちんとしたい。

究極はみなさんに安全な食べ物を届けたい。

ぜひ一緒にやってみませんか。

《農業生産チーム スマッピー正福寺 園和也》 正福寺で農業をしている。

スマッピー正福寺。

子どもの頃はほぼ農業に携わらなかった。

高校卒業で一般企業に勤め、兼業農家となった。

強い思いがあったわけでない。

ちょうどこなんマルシェができ、野菜を出荷しないかと市役所から声掛けがあった。

米は4ヶ月ちょっとの栽培期間。

他を遊ばせるのはもったいないと野菜づくりをし、面白いとハマった。

翌年スマッピー正福寺を立ち上げた。

故郷に、スマイルとハッピーをと言う造語だ。

こなんマルシェのときに朝市があり、直売での生産者と消費者の交流を大事にしている。

正福寺と菩提寺の一部で10ヘクタール。

正福寺が50ヘクタールで東京ディズニーランドと同じくらいだが、その5分の1を耕作している。

出荷先はJAや業者に販売しており、今年、国道1号バイパス沿いに直売所を作った。

水稲ではこしひかり、みずかがみ、滋賀羽二重餅を、野菜では季節物中心でキャベツ、たまねぎ、すいか、枝豆、さつまいもなどの露地栽培をしている。

さらに果樹園を復活させたい。

いちじくやカキ、ブドウなど勉強中だ。

どうして就農しようと思ったのかといえば、幼い頃からものづくりが好きだった。

何がほしいと聞かれておもちゃでなく工具セットを買ってもらった。

工場に就職したが、ラインの一部でなく、最初から自分で作りたいと思いがあった。

それと地区の農業に危機感を抱いた。

高畑学さんが就農した頃より高齢化が進んでいた。

高齢者が、機械が壊れたら農業をやめるといい、実際に壊れてやめた。

担い手がいない。

田んぼがなくなってしまう。

しかし、自分は機械にはあまり乗れない。

今頑張っていることは、生産者と消費者の交流。

自分で作ったものを自分で売る。

普通に店に出荷するだけでは客の顔が見えない。

朝市だと、どんな客が買うのか、何を求めているのかが直にわかる。

また、オーナー体験は自分で収穫体験をしてもらう。

そこに、場所を提供して一緒にやる。

生産力向上は就農して5年でまだまだスキルが低いので、現地で農家から直接聞いて学んでいる。

農産物のブランド化をしたい。

特産品は下田なすと弥平唐辛子しかないが、春なら玉ねぎ、今ならさつまいもなど季節ごとに湖南市でしか出せない味を出したい。

今の事業で辛いところは、まだまだ地域では若いので地域で圃場が確保できない。

家の周辺に固めたいがなかなかできていない。

販路拡大をしたいが、出荷先は花野果市、平和堂、ベイシアなど販路が限られる。

生産力は一人でやっているので人手不足。

コメだけなら良いが野菜となると毎日収穫などが必要。

これからの目標はより多くの人に自分の作った農産物を食べてもらい、地域に貢献できるようにしたい。

《株式会社はたけのみかた たけむらゆきな》 2年前に大学3年生のときに会社を作った。

自分で農業をせずに農業に関われないかと考えた。

滋賀県産の有機野菜を使い、離乳食の製造販売をしている。

信じていることは、農業は社会の課題を解決できるのではないかということ。

農業はすごいパワーをもっている。

食という生きる根源で人間に関わり、歴史と文化に関わり、景観にもかかわり、教育やレジャーにも関わっており、将来を良くするのではないかと考えている。

なぜ、在学中に会社を作ったのか。

実家がレストランだが、どこから食材が来るか知らなかった。

日本の有機農家は農業人口のうち0.16%しかないと言われている。

希少価値なので儲かっているのではないかと思っていたが、実際に聞くと苦労していることがわかった。

土壌づくりに何年も掛かったり、草だらけの畑で虫がついたり、規格外となりやすい。

そういうものは市場が不要とし、販路が見つからなくなる。

販路が見つからないと直売所を作ろうかとなるが、日本では有機野菜の価値が低い。

オーガニックを知っているのは34.8%しかいない。

内容を理解しているのは9.3%だ。

大学でアンケートをしてみると、高いだけで何が違うかわからない、見た目が汚い、どこで売っているかもわからないというものだった。

そういうなかで、直売所を閉鎖し、販路がなく大量の野菜が廃棄され、有機農家に限らず、どの農家も想像を超える苦労をしていたのを知った。

なんで、そんなに苦労して農業を続けられるのかと聞くと、お客さんの笑顔、地域のためなど、自分のためでなく誰かのために頑張っていた。

感動したが、自分では農業はできない。

そこで、農家の頑張りをもっとたくさんの人に届けたい。

大学で研究して見つけた答えは、農家を笑顔にするためには、農業で課題を解決できるようにすればよいのではないか。

農業の潜在能力で課題を解決すればと気づいた。

いざ会社を作るときに、ベビーフードの生産統計が近年急激に右肩上がりなのに気付いた。

なぜ需要があるかといえば、働きながら子育てをするお母さんが増えている。

このグラフを見たときに、ベビーフードが売れているとお母さんは助かっているのかと思った。

しかし、聞いてみると、ベビーフードを使って怒られるとか、手作りできなくて後ろめたいとか、誰がどこで作ったが栽培方法もわからない野菜、添加物も、甘味料も使うものがスーパーにならび、お母さんたちは悩みながら働いていることがわかった。

そこで、この課題を農業を通じて課題解決しようと、会社を立ち上げた。

mammaというベビーフードを作った。

信頼できる有機農家を使い、安心のストーリーをウェブで紹介している。

味付けは他社では濃いが、ほとんど野菜やコメの味にしている。

これは四季のある日本の旬を楽しんでもらうためだ。

デザインもおしゃれにした。

人前で取り出すのが嬉しいデザインにした。

9月で1年になる。

うれしい感想があった。

「これからはよいお野菜や農家のこと、いっぱい子供につたえたい。」

有機農家の課題解決として、規格外でも正規の同じ値段で買い上げている。

小さなことからできないかと、日本の離乳食を変えることから取り組んだ。

これから農業がよくなることで、新規就農も増え、素晴らしい農業になり、さらに離乳食もよりよくなる。

お互いに高まるような商品を作っていきたい。

14時40分からパネルディスカッションとなりました。

司会進行は株式会社モクモク流地域産業製作所の小森一秀氏です。

●小森「隣の県、伊賀のモクモク手づくりファームで仕事をしている。仕事は伊賀市だが、住んでいるのは甲賀市なので、イオンタウン湖南にもウロウロしている。先ほどは5人の農業に関係する人の話を聞いた。初めて聞いたのでどう進めようかと悩んでいた。湖南市の狙いとしては、ここぴあに並べる農産物を増やすために農業をする人を増やしたい。しかし、今日の人はかなり変わった人だ。普通はお金が儲かるとか安定するということで職業を選択するが、変わった人ばかりだ。今日は農業の担い手を増やしたいのがねらい。そこで、新しく農業をするのに、①どこでやるの、どうやったら農地が手に入れられるのか。②農業も仕事であり、どうやってお金を手に入れるのか。③農業は究極の地場産業で農地に縛られるので、どうやって引き継いでいくのか。この3つに沿ってお話をいただきたい。5人の特徴が別々で面白い。高畑さんは会社組織でやっていて企業的。佐々木さんは新規参入者。後藤さんは縁もゆかりもない移住者。園さんは伝統的な家業を次ぐ典型的農家。武村さんは新たなタイプで農業の応援隊だ。まずは高畑さんから、1億円の借金をしたのは?」

●高畑「父の会社に入社したが、アグリ甲賀はティアイケイの子会社で、親も満額借りていたので、2400万円を借りて全部で1億円の借金とした。」

●小森「スタッフは?」

●高畑「親父が定年して専従するほかに3人いる。」

●小森「そうすると社会保険であるとか、かっこいいトラクターとか、給料もあり、資金繰りは?」

●高畑「コメだけだと秋一括だが、JAの応援もあり麦大豆も作付しているので、コンスタントに入ってきている。」

●小森「借金返しは?」

●高畑「親父が対応した。」

●小森「佐々木さん、農地の苦労どうだったか?」

●佐々木「知らずに初めて、イケイケだった。近隣の農家の遊休地を借りた。8アールで下田なすを育てたが、新聞が取り上げたあと、8アールはだめだと農業委員会が怒りに来た。5反の縛りがあって5反ならよいがという。しかし、米の5反とプチトマトの5反とは違う。市役所は協力的でなかったが、いろんな人が助けてくれ、観光協会も助けてくれ、思うような農地を借りられた。」

●小森「工場を作る許可や資金は?」

●佐々木「設備投資などをできるだけしないように、実家の離れに台所があった。施設を構える余力はなかった。少しずつ進めて今も小さいブレハブで作っている。お金はない。」

●小森「100人の農業女子プロジェクトを立ち上げたが、今後の感覚は?」

●佐々木「ノリで作った。まだ10件ほどだ。そういう女子は販路がない。しかし、小さいので集まるとセレクトショップになり、みんなで上げ底になる。100人プロジェクトを看板にしてもらい、滋賀県は農業をやりやすいとなれはよい。ゆるい感覚。」

●小森「後藤さん。滋賀に縁はない。飛び込んでいるが、地域に溶け込む秘訣は?」

●後藤「自らをオープンにする。性格もあるがとりあえずなんでも困っていることは言うし、あれがないとも伝える。そうするとみんな誰かの役に立ちたいので、困っているというと、余っているこれを使ったらいいよと声をかけてくれる。暖かい土地柄。」

●小森「こうしてくれたら嬉しいのにというのはあるか?」

●後藤「私達の田んぼにきてほしい。」

●小森「子育てとの両立は?」

●後藤「夫の協力なしにできない。夫婦円満が秘訣。」

●小森「園さん。パワフルなのでマイクは使わない、俺の生声を聞けという感じか。20代で今後の湖南市の農業を担うが、今後はどうか?」

●園「水田がメインで、野菜が不足しがちなので野菜の生産力を高めたい。」

●小森「生産者と消費者のふれあいは?」

●園「農家自身がふれあう場をつくれればいい。マルシェの朝市のような。毎週は辛いので月一でイベントができたらいい。」

●小森 「農地も増やせればと言っていたが、法人化して増やしたいたか、後継者とかは?」

●園「若くても早く後継者を考えないと現状になる。若い子が農業に興味を持つ環境をつくりたい。」

●小森「園さんは独身か?」

●園「朝市でもうちの孫をどうかとかいわれるが、成り行きに任せたい。」

●小森「武村さん。若くして起業した。ベビーフードというとんがったところだが、販路はどうしたのか?」

●武村「インターネットでお母さんの口コミ。飲食店でメニューとして提供してもらう。レストランに食べに行って離乳食に困るとかあったり、旅館に置くとか、販路先でも貢献できれば。」

●小森「湖南市内で買えるところはあるか?」

●武村「実家のレストラン潮で置いている。」

●小森「湖南市産の野菜は使っているか?」

●武村「使えていない。これから増えてくれば。」

●小森「作れば高く買ってくれる自信は?」

●武村「買う。」

●小森「モクモクはできて29年。最初は小さなハム工場で、平成7年ころからようやく客が来るようになった。伊賀は、野菜農家が少ない。しかし、お客さんが増えると、野菜をやってみたいと持ってくるようになった。専業農家は少なく、高齢者の片手間。孫の小遣いが稼げる。モクモクがなければ農業をしなかった人が多いのではないか。ここぴあは楽しみ。会場から質問は?」

●矢野(市議)「佐々木さんのいうヤミ小作で農業委員会から言われたという。後藤さんとも関係がある。国は大農家を増やそうとしているが、昔から2反3反の農家がつながってやってきた。一億総活躍となるなら、小規模農家を支えないといけない。農業委員会もどう考えているのか?」

●小森「会場に市長がいるが?」

●谷畑「農業委員会は市長と別組織だが、改革があって今後はそうしたことも考えていくのではないか?」

●小森「規制緩和が必要。」

●矢野「そうならないと小さい農家が増えない。規制緩和を進めないといけない。」

●佐々木「近畿内では滋賀県以外は基準面積の緩和をしていた。湖南市の現状もコメありきの判断ではないか。小回りの聞くようにしてほしい。時間のロスがあればモチベーションもさがる。」

●赤祖父(市議)「シイタケは儲かると聞いたがどう思うか?」

●小森「高畑さん?」

●高畑「シイタケは原木と菌があり運ぶのに時間、置く場所もあり、国道一号線沿いはよいか。信楽は特産になるくらいなので勉強すればできるのでは。」

●小森「園さん?」

●園「直売所ではシイタケの時期には売れる。規格外を求める。スーパーでは納得できず、顔を見て買えるのが安心できる。シイタケは、正福寺の麓で老人クラブがやっていたが高齢化でやめてしまった。原木を運ぶのは重労働だが、取るのはおじいちゃんでもできる。」

●小森「モクモクもシイタケを作っている。原木で。もう一つは菌床栽培。原木栽培は大変。収穫まで時間もかかるし、重労働。寝かせる場所もたくさん必要。菌床で障害者雇用として利用しているところもある。」

●後藤「シイタケは福島県が原木の産地だった。九州産のシイタケから放射能が出てキノコを食べないようにした。土山町の神でどんぐりからシイタケを作っている。2年ぶりにシイタケを食べた。正福寺でしいたけを作れば関東の木にする人に売れる可能性がある。」

●小森「日本の原木のシェアの半分は福島県。一時手に入らなくなった。」

●高岸(市民)「みちくさコンパスで昨年、地元野菜でパンを作ろうとして『甲賀七菜物語』を読んだ。野菜もこれから作っていきたいとしているが、風土に合った野菜を復活させてほしい。」

●小森「これは園さん。」

●園「母親が農産物加工グループにおり聞いている。作りたい。例えば岩根の里芋が有名で作るが、祖父や祖母の話では圃場整備で作りにくくなった。里芋は粘土質がよい。できるのはできるが昔の味とちがうという。復活させたいがみなさんの協力が必要。これは重責だ。」

●小森「ここぴあというハードが整備されるが、モクモクもお客さんから働いている人がいいねと言われるのが嬉しい。ハードをどう運営するかが大事。働く人だけでなく支える担い手の人も。さらに施設や農業で頑張る人の支え手になり、100年200年後の湖南市の農業が良くなってほしい。」

毎日見たくなる市長の
ホームページ、目指しております。